今日、2020年1月22日のGoogleのトップページのロゴは、「アンナ・メイ・ウォンを称えて」になっています。
なぜこのロゴになったんでしょうか?
今回は、グーグルロゴ(2020年1月22日)「アンナ・メイ・ウォンを称えて」の意味や由来を調べてみました。
グーグルロゴ(2020年1月22日)「アンナ・メイ・ウォンを称えて」の意味や由来
なぜグーグルのロゴの「アンナ・メイ・ウォンを称えて」になったのでしょうか?
それは、映画女優アンナ・メイ・ウォンさんの初の映画主演作品『恋の睡蓮』(The Toll of the Sea)が1922年1月22日に公開されたのを記念したからなんです!
Googleのlogoをクリックすると、始めのロゴの画像の他に6枚の画像が出てきます。
これはアンナ・メイ・ウォンさんの女優人生を物語で表現しているんですね。
画像を紹介していきます。
アンナ・メイ・ウォンの生い立ち
アンナ・メイ・ウォンは中国系の3世として、ロサンゼルスのチャイナタウンに生まれました。
そして女優を志し、「悪女、妖婦、メイド、売春婦、女奴隷など」、妖艶でミステリアスな東洋人女性を演じて、数々の映画に出演します。
アンナ・メイ・ウォンの苦悩
しかし当時のアメリカ人社会は、中国系のアンナ・メイ・ウォンが女優であることに反感を持ち、非難の目が多かったそうです。
ハリウッド女優として映画出演している一方、外国人として扱われてしまい、俳優仲間から異分子と見られてしまいます。
アンナ・メイ・ウォンの心は次第に苦悩を深めていきます。
アンナ・メイ・ウォンのヨーロッパ進出
一大決心をしたアンナ・メイ・ウォンは、1928年の23歳の時にヨーロッパへ渡ります。
ドイツ語やフランス語を学び、ヨーロッパで映画女優としての活躍の場を広げていきます。
アンナ・メイ・ウォンの大女優誕生
そして、みるみる映画や舞台で活躍したアンナ・メイ・ウォンは、社交界でももてはやされる存在に成長しました。
1929年の24歳のときには、イギリス映画『ピカデリー』に出演すると一躍脚光を浴びて大女優として認められます。
アンナ・メイ・ウォンの引退
1930年代半ばになるとヨーロッパでは戦争が各地で勃発します。アンナ・メイ・ウォンは、戦争から逃れるため、アメリカに帰国します。
再びハリウッドで女優を志しますが、中国系ということで再び差別を受けました。
ハリウッドには居場所がないと感じたアンナ・メイ・ウォンは、1930年代後半に容姿が関係しないという理由からラジオ番組に出演するようになります。
しかしアンナ・メイ・ウォンは、1942年に37歳の若さで映画界から去ることを決め、引退することにしたのです。
アンナ・メイ・ウォンの突然の死
その後アンナ・メイ・ウォンは、再び女優として復帰します。1949年の44歳のときに映画『インパクト』に脇役で出演しました。その後、脇役ながら映画出演を続けると、ついに求めていた役柄と巡り合うことができました。1961年に映画『フラワー・ドラム・ソング』出演します。この映画では中国系アメリカ人の家庭を舞台にしたミュージカル映画での母親役で、アンナ・メイ・ウォンはとても喜び出演に向けて意気込でいました。しかし、出演は現実の元のはならず、肝硬変とい病に倒れ、1961年にアンナ・メイ・ウォンは、サンタモニカの自宅で心臓発作ため56歳の若さで、急死を遂げたのでした。
まとめ
今回は、グーグルロゴ(2020年1月22日)「アンナ・メイ・ウォンを称えて」の意味や由来を調べてみました。。
ということで1月22日は、映画女優アンナ・メイ・ウォンさんの初の映画主演作品『恋の睡蓮』(The Toll of the Sea)が1922年1月22日に公開されたことを記念し、「アンナ・メイ・ウォンを称えて」というグーグルのロゴになったんですね!
そして、2003年から2004年にかけて、アンナ・メイ・ウォンさんの生誕百周年イベントが行われたそうです。
彼女の伝記2冊と、女優としての足跡を記した本が出版されました。
アンナ・メイ・ウォンさんの映画界への貢献がようやくハリウッドで認められました!!